寓話「黒ぶだう」をめぐる人間模様

 賢治の寓話『黒ぶだう』の作品に隠された菊池邸を舞台にした人々の物語。赤い小きつねは誰、仔牛は誰、ぶどうは何を意味するのか。そして仔牛にかけられた黄色いリボンは何を意味するのか。推理してみませんか。

 「仔うし」と「小ぎつね」が、貴族の別荘に無断で入って、黒ぶどうを食べていると別荘の所有者の貴族と友達の貴族と女の子が戻ってきて、「小ぎつね」は逃げ、残った「仔うし」は、貴族の女の子に、黄色いリボンをつけてもらうという寓話。この物語の真意は?「仔うし」や「小ぎつね」その他の登場人物は誰の象徴し暗喩しているのでしょうか。賢治は時々いたずら子のように、事象や人物を隠すように埋め込む作品を作り楽しんでいます。この物語に隠されたものは、何だったのでしょうか。

 当時、花巻に珍しかった洋館風の住宅が建築されたことから、その建物の構造や所有者に興味を持ち、寓話の題材にします。建物の所有者は、花巻から北大に進んだ著名人「菊池 捍(まもる)※以下人物名の敬称略」。賢治寓話『黒ぶだう』は、その舞台のモデルとなった建物の所有者「菊池 捍」を取り巻く人間模様を暗喩(かくして比喩)したもの。

 主な登場人物のモデルは「菊池 捍」、その義兄の「佐藤 昌介:花巻市出身初代北大総長、男爵」及び昌介の異母妹「佐藤 輔子」さらにその輔子に恋した「島崎 藤村」、そして藤村の友人でもあり南部藩士の娘であった母を持つ「有島 武郎」等が浮かび上がってきます。

 これらの人間模様を、賢治はまるでいたずらっ子のように、「仔牛(犢:こうし)」「子狐(赤狐)」「ぶどう」「ベチュラ公爵」「ヘルパ伯爵」「ヘルパ伯爵の二番目の女の子」に偽装させて物語を構成しています。

 作品は、脇玄関などの建物の特徴から、「菊池捍邸」がモデルで、菊池捍の義兄である佐藤昌介が男爵として叙爵されたことによる貴族の別荘としての舞台構成、佐藤昌介当時の島崎藤村の作品やその生活と行動を揶揄しながら物語にしていて、その構成は、まるで作品の中に隠し埋め込んだ事象を謎解きをするような作品です。

 さあ、あなたも賢治寓話『黒ぶだう』をしっかり読んでこの作品の謎解きに参加してみませんか。

  • 1)なぜ『黒ぶだう』の舞台が菊池邸なのか
  • 2)仔うしは、誰を指しているのか
  • 3)小ぎつねは、誰をさしているのか
  • 4)ぶどうは、なんなのか
  • 5)ベチュラ公爵は誰をさしているのか
  • 6)ヘルパ伯爵は誰をさしているのか

現在の「菊池 捍」邸

菊池 捍

【関連資料】

「菊池 捍」プロフィール

菊池 捍(まもる) 1870(明治3年)~1944(昭和19年)

花巻市出身、札幌農学校(現北海道大学農学部)卒業、専門は家畜学、札幌農学校助教授を経て農学校教諭、校長を経て技師、工場長、重役を歴任。

「菊池 捍」の郷土の先輩として「佐藤 昌介:1856-1939札幌帝国大学初代総長、男爵」がおり、「菊池 捍」の先妻は「佐藤 昌介」の妹。

「黒ぶだう」(引用)

「黒ぶだう」 仔牛が厭(あ)きて頭をぶらぶら振ってゐましたら向ふの丘の上を通りかかった赤狐(あかぎつね)が風のやうに走って来ました。

「おい、散歩に出ようぢゃないか。僕がこの柵を持ちあげてゐるから早くくぐっておしまひ。」

仔牛は云(い)はれた通りまづ前肢(まえあし)を折って生え出したばかりの角を大事にくぐしそれから後肢(うしろあし)をちゞめて首尾よく柵を抜けました。二人は林の方へ行きました。

狐が青ぞらを見ては何べんもタンと舌を鳴らしました。

そして二人は樺林(かばばやし)(注1)の中のベチュラ公爵の別荘の前を通りました。

ところが別荘の中はしいんとして煙突からはいつものコルク抜きのやうな煙も出ず鉄の垣(かき)が行儀よくみちに影法師を落してゐるだけで中には誰も居ないやうでした。

そこで狐がタン、タンと二つ舌を鳴らしてしばらく立ちどまってから云ひました。

「おい、ちょっとはひって見ようぢゃないか。大丈夫なやうだから。」

犢(こうし)はこはさうに建物を見ながら云ひました。

「あすこの窓に誰かゐるぢゃないの。」

「どれ、何だい、びくびくするない。あれは公爵のセロだよ。だまってついておいで。」

「こはいなあ、僕は。」

「いゝったら、おまへはぐづだねえ。」

赤狐はさっさと中へ入りました。仔牛も仕方なくついて行きました。ひひらぎの植込みの処(ところ)を通るとき狐の子は又青ぞらを見上げてタンと一つ舌を鳴らしました。仔牛はどきっとしました。

赤狐はわき玄関(注2)の扉(と)のとこでちょっとマットに足をふいてそれからさっさと段をあがって家の中に入りました。仔牛もびくびくしながらその通りしました。

「おい、お前の足はどうしてさうがたがた鳴るんだい。」赤狐は振り返って顔をしかめて仔牛をおどしました。仔牛ははっとして頸(くび)をちゞめながら、なあに僕は一向家の中へなんど入りたくないんだが、と思ひました。

「この室(へや)へはひって見よう。おい。誰か居たら遁(に)げ出すんだよ。」赤狐は身構へしながら扉をあけました。

「何だい。こゝは書物ばかりだい。面白くないや。」狐は扉をしめながら云ひました。支那(しな:中国)の地理のことを書いた本なら見たいなあと仔牛は思ひましたがもう狐がさっさと廊下を行くもんですから仕方なく又ついて行きました。

「どうしておまへの足はさうがたがた鳴るんだい。第一やかましいや。僕のやうにそっとあるけないのかい。」

狐が又次の室をあけようとしてふり向いて云ひました。

仔牛はどうもうまく行かないといふやうに頭をふりながらまたどこか、なあに僕は人の家の中なんぞ入りたくないんだ、と思ひました。

「何だい、この室(へや)はきものばかりだい。見っともないや。」

赤狐は扉をしめて云ひました。僕はあのいつか公爵の子供が着て居た赤い上着なら見たいなあと仔牛は思ひましたけれどももう狐がぐんぐん向ふへ行くもんですから仕方なくついて行きました。

狐はだまって今度は真鍮(しんちゅう)のてすりのついた立派なはしごをのぼりはじめました。どうして狐さんはあゝうまくのぼるんだらうと仔牛は思ひました。

「やかましいねえ、お前の足ったら、何て無器用なんだらう。」狐はこはい眼をして指で仔牛をおどしました。

はしご段をのぼりましたら一つの室があけはなしてありました。日が一ぱいに射して絨毯(じゅうたん)の花のもやうが燃えるやうに見えました。てかてかした円卓の上にまっ白な皿があってその上に立派な二房の黒ぶだう(注3)が置いてありました。冷たさうな影法師までちゃんと添へてあったのです。

「さあ、喰べよう。」狐はそれを取ってちょっと嚊(か)いで検査するやうにしながら云ひました。

「おい、君もやり給へ。蜂蜜の匂(におい)もするから。」狐は一つぶべろりとなめてつゆ(注4)ばかり吸って皮と肉とさねは一しょに絨鍛の上にはきだしました。

「そばの花の匂もするよ。お食べ。」狐は二つぶ目のきょろきょろした青い肉を吐き出して云ひました。

「いゝだらうか。」僕はたべる筈(はず)がないんだがと仔牛は思ひながら一つぶ口でとりました。

「いゝともさ。」狐はプッと五つぶめの肉を吐き出しながら云ひました。

仔牛はコツコツコツコツと葡萄(ぶどう)のたねをかみ砕いてゐました。

「うまいだらう。」狐はもう半ぶんばかり食ってゐました。

「うん、大へん、おいしいよ。」仔牛がコツコツ鳴らしながら答へました。

そのとき下の方で「ではあれはやっぱりあのまんまにして置きませう。」といふ声とステッキのカチッと鳴る音がして誰か二三人はしご段をのぼって来るやうでした。

狐はちょっと眼を円くしてつっ立って音を聞いてゐましたがいきなり残りの葡萄の房を一ぺんにべろりとなめてそれから一つくるっとまはってバルコンへ飛び出しひらっと外へ下りてしまひました(注5)。仔牛はあわてて室の出口の方へ来ました。

「おや、牛の子が来てるよ。迷って来たんだね。」せいの高い鼻眼鏡の公爵(注6)が段をあがって来て云ひました。

「おや、誰か葡萄なぞ食って床へ種子(たね)をちらしたぞ。」泊りに来て居た友だちのヘルバ伯爵(注7)が上着のかくしに手をつっこんで云ひました。

「この牛の仔にリボン結んでやるわ。」伯爵の二番目の女の子(注8)がかくしから黄いろのリボンを出しながら云ひました。

作品に隠された人物・事柄

  • 注1:樺林 =「有島武郎」をはじめ白樺派といわれた人々
    ※「ベチュラ:樺類」
  • 注2:わき玄関 = 菊池捍邸は本玄関と脇玄関を持つ洋館
    ※花巻の武家屋敷の様式を受け継ぐ2つの玄関、菊池邸の大きな特徴。
  • 注3:黒ぶだう = 藤村の初恋の人「佐藤 輔子」
    ※島崎藤村の詩「狐のわざ」に象徴される恋人
  • 注4:つゆ = 擬人化されたキツネが盗む恋人の心
    ※恋人の心
  • 注5:ひらっと外へ降りてしまいました。 = 藤村は、愛人から逃げた経歴があること
  • 注6:せいの高い鼻眼鏡の公爵 = 有島武郎
  • 注7:ヘルパ伯爵 = 佐藤昌介(初代北大総長、男爵)
  • 注8:伯爵の二番目の女の子 = 菊池捍の妻「佐藤淑子」

関連資料 論文

 賢治寓話「黒ぶだう」の舞台である公爵別荘のモデルは、1926年に建てられ花巻市街に現存する洋館、菊池捍(きくちまもる)邸であることが明らかにされた(米地・木村、2006)。

 「黒ぶだう」とその他の賢治作品および菊池捍と彼の周辺の人物や事物を詳細に分析・検討した結果、この寓話は、建物ばかりでなく、建主の花巻出身で北海道清水町の明治製糖工場長であった菊池捍とその義兄佐藤昌介に深く関わるストーリーであることがわかった。

 「黒ぶだう」のあらましは、次の通りである。赤狐に誘われた仔牛が、留守中のべチュラ公爵別荘に入り、黒ブドウを食べる。狐はブドウの汁を吸って他は吐き出し、仔牛は種まで噛む。公爵一行が帰ってきたので、狐は逃げるが、残された仔牛はリボンを貰う。

 種まで噛む仔牛の登場は、製糖工場が甜菜を搾って糖液を採り、滓は乳牛の飼料として販売したことと関わる。また、華族を別荘の持ち主にしたのは、捍氏夫人の兄佐藤昌介北大総長が叙爵される時期であったからと考えられる。

 野生の狐はうまく逃げ、家畜の牛は残って人間との関係を深める、という寓話「黒ぶだう」には、野生動物も家畜もそれぞれが生きてゆける世界、賢治が酪農に期待をこめて描いた北海道と岩手とを重ねる北方的イーハトヴ、など小さな理想郷が見られるのである。

 「黒ぶだう」の執筆時期は、菊池捍邸完成時期、使用原稿用紙、叙爵時期、チェロの登場、などの諸点に基づいて、1927〜1928年と推定した。

米地 文夫:岩手県立大学名誉教授、ハーナムキヤ景観研究所
木村 清且:株式会社木村設計A・T代表取締役

関連資料 案内人の推理

 米地 文夫(ハーナムキヤ景観研究所、岩手県立大学名誉教授)の解説によると、宮沢賢治は、その時代に珍しかった洋館「菊池 捍(まもる)」邸を舞台に、所有者の菊池捍と、菊池捍の義兄で、花巻市出身で初めて男爵に叙爵された「佐藤昌介」北大総長とその妹「佐藤輔子」が、「島崎藤村」の初恋の相手であるといわれること、また島崎藤村の恋を詠んだ『狐のわざ』の作品を知り、その人間模様を狐と仔牛とぶどうを使った寓話で表現したもの。

 さらに、島崎藤村の文壇の友人である「有島武郎」やその弟「有島生馬」などの関係を組み入れている。 仔牛:菊池捍の専門分野である「家畜学」に象徴される「仔牛」 有島兄弟:南部藩士の母を持つ文壇の兄弟 賢治は、この藤村の詩と佐藤輔子のことを知っており、また有島武郎の関係も知っていた。

関連資料 藤村との関係

「島崎 藤村」永遠の恋人と知られた「佐藤 輔子」は、「佐藤 昌介の義妹で、さらにその下の妹が「菊池 捍」の最初の妻「淑子」。

 

関連資料:「島崎藤村」の詩「狐のわざ」(若菜集より)藤村永遠の恋人:佐藤 輔子
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